4.01.2012

留学を終えて 人生は連続的な変化の連続? - 少女から蝶へ -


あの震災から一週間後。
空は晴れているのに、空気はどんよりと重い。
複雑な気持ちでシアトルに発ったのはそんな変な日でした。

あれから一年。
シアトルでの留学を終え、今はサンフランシスコに来ています。
スタンフォードでのExploring Social Innovation(ESI) program も終え、
アメリカでの生活も残すところあと10時間程となりました。


留学中に何を感じ、どんな人と出会って、どんなことをして、何を想うか。
それらを書き留めていく為に始めたこのブログですが、今回で最後となります。
もともとあまりまめな性格ではないのでブログの更新もかなりずぼらになってしまいましたが
毎回ブログ楽しみにしているよ、と言ってくれる方々をはじめ
読んで頂いたみなさんには本当に感謝しています。


実は留学のまとめ的なものは年明けにさくっと書いているので、
そちらを見て頂けたらと思います。





今回は自分自身を眺める目線が留学を通してどういう風に変化したか
ということについて考えてみました。

二つの詩




今を生きる


僕はもう 歩けるようになった

僕はもう 笑えるようになった

僕はもう 恐れなくなった
僕はもう 泣かなくなった


じゃぁ今、必要なことって

一体なんだろう




今、抱きしめたいものって

一体なんだろう




そんなことにも目をつぶったまま


僕が通った道にはそんなもの

落ちてなかったのに


多くの怒りと

悲しみを越えて


かろうじて生き延びてきた喜びが

おどろいて一斉に羽ばたきだす


彼方に消えていく

その喜びたちを

夕日がそっと照らしだす


僕も頑張らなきゃ



これは僕が二十歳の記念として地元の友人と雑誌を創った時に掲載した詩です。
これは完全に偶然ですが、実は僕雑誌に載せる為に留学前と留学の最後に詩を書いています。
次のは留学修了記念の雑誌に載せたものです。





Commencement

暁が記憶を呼び起こす。
白い少女は夢中で蝶を追いかけていた
草原を抜け、河を渡り、丘をのぼる
山を越えて、荒野を彷徨い、暗い森を抜けると
蝶はどこかへ消えていった

掴むはずのものはそこにはなくて
手足に刻まれたすり傷は鈍い音をたてる
でも少女は泣かなかった

今ならとべるような気がした



まぶたを閉じる。
少女はまた草原にいた
朝の陽光が空のバスケットを照らす
少女はまた花摘みをはじめる

花びらの上に舞落ちた白い蝶は
人の気配を感じてまたひらりひらりと舞い上がる












個人的には二つ目の詩が結構気に入っています。
でも分かり辛すぎてなんなんだこれは。っていう感じだったらすいません。



他者との関係性の中で自分を捉える


こうして二つの詩を眺めていて気付いたことは

1)留学前の詩は迷いを前面に押し出されていて、飛び立っていく「喜び」をただ眺めていたのに対し、二つ目の詩では行き先もわからないながらも走り続け、それが結果に結びつかなくてもそれでも自分が「とべるような気」がしている

2)一つ目では自分を第一人称的に眺めているのに対し、二つ目では他者との関係性の中で自分を捉えている

という二点です。





(1)様々な経験を積む中で自分の決断と飛躍に自信がもてるようになり、だからこそそ着飾る必要なく余裕を持って(2)自分という存在を他者との関係の中で少し離れたところから眺められるようになった、という感じでしょうか。


(2)について、


僕が自分自身を少女に投影した理由は

与えられる側と与える側の循環の中に自分を位置づけられるようになった

からです。


二つ目の詩で
まぶたを空けた少女は、今度は自分があの白い蝶になっているのだけれど
まだ傷ついたままなのだと思います。(ここで成長とかではなく傷という表現を使っているところがちょっと自分らしいなとも思います。)その傷を引きずりながらも、次の少女の道標として「またひらりひらりと舞い上がって」いくわけです。導かれていたはずの少女がいつの間にか次の少女を導く白い蝶になっていく。そういった何か個人の内部だけでは説明できない、スケールの大きな連続的な変化、循環みたいなものの中の一部を自分が成しているような感覚がしたのだと思います。



留学前やシアトルに来た当初は人から与えてもらうばかりで、先輩や友人に素敵な出会いの機会を与えてもらい、多くの刺激的なインプットを得るばかりでした。しかし豊かなインプットを得て、シアトルのソーシャルアントレプレナー界隈でかなり広く、そして一部は深さもあるネットワークを築いていくにつれ、与えてもらうばかりでなく、周りの人の知りたい情報、必要なネットワーク、面白い視点などを提供するかたちでアウトプットしていくようになりました。

これは何か自分の中身がすごい成長したとかそういう事ではなくて、単純に知の質と絶対量、ソーシャルビジネスに関する見識、あるいは自分のもつネットワークのバリューが高まったからだと思います。もちろん今でも多くの人にチャンスをもらい、支えられ、与えられて先導してもらっていますが、そういったなかで中で多くを学び、次第に自分も道標となる白い蝶のように他の誰かを先導しながらニーズをみたしていけるようになってきたと感じています。
ツイッターでしばらく前に「最近人をつなぐ側に立つことが多くなった」とつぶやきましたがまさにそういうことです。

もちろんこのことは地理的断絶、つまりシアトルに来る留学生やアメリカの他の地域からUWに入ってくる新入生が多いために、自分が白い蝶となる機会が多かったということもあるが、それでもシアトルいる日本人の中では一番ソーシャルアントレプレナーのネットワークが広かったように思います。

ソーシャルビジネスに興味のある人をソーシャルアントレプレナー界隈のネットワーキングにつれていったり、
マイクロファイナンスに興味のある学生にインターン先を紹介したり、
実際にソーシャルビジネスをはじめて、でもリソースに困窮している起業家をHUBのコミュニティに迎えたり、
あとは韓国政府からソーシャルアントレプレナーを学ぶ為に派遣された学生達をシアトルのソーシャルアントレプレナー達を繋げる為にツアーコーディネーターをしたり、
最近三月にはグローバルなソーシャルビジネスプラットフォームをつくろうとしているGSBPの方をシアトルのSEネットワークにつなげてあげたりもしました。

つなげる仕事



特にHubSeattleでインターンを始めてからは、ソーシャルアントレプレナー達をつなぐ立場として彼らに出会うことが多くなったので、人と話していて

あっこの人を〇〇につなげたら面白いかも

というようなことを自然と考えるようになりました。
実際に他のHUBのホストがコミュニティの文字通りハブとなり直接的にも間接的にも人々を繋げていく姿、そしてそうして生まれた出会いが新たな価値の創造やイノベーターをクリエイトしていくプロセスを目の当たりにしていく中で、Connecting Peopleのバリューをホストの側の視点から体感することができました。



HUBTokyoの方も本当に楽しみです。今回ESIのプログラムを通してD-school で学んだデザイン思考のインプリメンテーション(デザイン思考は知っているだけではあまり意味がなくて、それをどう実践していくかのところに本質がある!)とか空間のデザイン(D-schoolからでているMake Spaceという本がオススメ)ももっと勉強していきたいし、それらを活かしながらやっていけたらと思います。




ちなみにWealth Dynamicsというビジネスにおいてチームビルディング等の為に使われる心理テストみたいなものがあって、それの資格をもっているメンバーがESI にいたのでやってもらったところ


結果はDealMaker。

まさに外部との関係性やネットワークを通して価値を生みだすのが得意なキャラクターに分類されました。
このWealth Dynamicsはチームビルディングだけじゃなくて他の人との相性や自分自身の強み•弱みを考えていくのにもすごい役に立つ(つまり日本の就活うけがよいw)ので興味があったら是非。(簡易版は無料)




人生は連続的な変化の連続?



あと留学を終えて思うのは

当たり前のことですが留学する前でも後でも自分は変わらず自分であるということです。

以前宮本さんが留学最後のブログで

”留学は精神と時の部屋ではない”

と書いていました。
留学を終えた今本当にそうだなと思います。
留学と聞くと、


何か日常からは断絶された世界があってそこにいる間にパワーアップして帰ってくる


みたいなイメージを持っている人も結構多いですが、
実際には何か断絶的な変化があるわけではなくて
例え環境が変わっても自分は常に連続した過去を背負っているわけです。これはあくまで僕が感じたことですが、


つまり人生は連続的な蓄積である


ということです。

日々の散歩、出会った人、物思いに耽る夜更け。
様々な経験が蓄積されていくことで少しずつ連続的に変化は起こっていくものなんだと思います。もちろん起爆剤的な刺激があって、そこで視界が一気に変わることがあるかもしれませんがそれはそこまでの経験や知識の蓄積がないと、起爆剤なり得るものも起爆剤でなくなってしまいます。


そしてスティーブジョブズの Connecting Dotsじゃないですが、一つ一つの経験は現在から過去へのベクトルでしかそのつながりを確認できず、それぞれが現在から未来の方向へどのように関わって点から線、面へと次元を高めていくのかはわかりません。だからこそ今できることにきちんと向き合うことが大事で、その向き合っている日常がいつの日か連続的な変化として現れるのだと思います。丁度あの少女がいつの間にか白い蝶として舞い上がっていったように。


またこれから日本での生活に戻ることになりますが、これらも変わらず自分のペースで歩を進めていきます。ESIでの学びも含め、これからのことは新しいブログに書いていこうと思うので、是非そちらもよろしくお願いします。

また、いろいろなしがらみがあって留学に行きたいけど...と迷っている人も多いのではないかと思います。もし僕に力になれることがあれば多少なりとも経験をシェアしたりできるかと思うのでTwitterでもFBでも気軽に声かけて下さい。

長いエントリー最後まで読んで頂いてありがとうございます。
一年間ありがとうございました。

(追記)新しいブログはこちらになります。

満開の桜が広がるUWのキャンパス。去年の丁度今頃。


シアトル最後の夜はNam, Joy Roy, Sarahとマイクロソフトのオフィスで飲む
というシアトルならではのお別れ会でした。


最後に二年前にLEAFの東アジア国際会議のクロージングで頂いた言葉を。

You are going back to the ordinary life that has changed a bit.
(普通のありふれた、だけどこれまでとはちょっと違う日常に戻っていくんだ)

VIA-Exploring Social Innovation (ESI) program



シアトル留学も終え、三月半ばからVIA-Exploring Social Innovation (ESI) program (プログラム概要はこちらに参加していました。それも昨日で終了し、アメリカでの生活も残すところあと一日となりました。


ESIプログラムでの学びについてはこのブログではなくて新たなブログに
書こうかと思いますが

コンセプト的には、


SFで活躍するSocial Entrepreneur Acumen Fund などのソーシャル系ファンド、NPO、スタンフォードD-Schoolなどでのワークショップやセミナーを通して、

デザイン思考やセオリーオブチェンジなどのツールを学びながら、

ソーシャルイノベーションの起こるプロセスを論理的に捉え、

自分たちのプロジェクトを進めていく

という感じ。


前半はサンフランシスコ、後半はスタンフォード/シリコンバレー。


ちなみにゲストピーカーや訪問した団体はこんな感じです。

Facebook Causes
Room to Read
“Theory of Change” workshop/Gwen Smith
BAYCAT
“Risk taking in Social Enterpreneuship” /Paula Goldman, Omidiyar Network
“What is Social Silicon Valley?”
Delancey Street
Panel “Leveraging Technologies to Empower Communities in developing countries”/ Acumen Fund, Envaya
Embrace
Catapult Design
Habitat for Humanity
RSF Social Finance
NETsT
Mozilla
Universal Giving
Stanford D-School!!!
Global Catalist partners
Plug and Play
The Center of Philanthoropy and Civil society at Stanford
Rocketship Educational
Khan Academy
 などなど。



そしてスタンフォードであのティナシーリグさんにもお会いすることができ感動でした。
今回のプログラムはソーシャルイノベーションのプロセスによりリアルに迫ることができたという点で自分のシアトル留学の締めくくりにまさにふさわしいものだったように思います。

自分の目線が確実に一年前のそれとは違うものになったことを強く感じました。


スケジュールがかなりタイトでなかなかインプットを咀嚼する時間がなかったので



帰国後ゆっくりと振り返り、まとめていきたいと思います。

(追記)新しいブログはこちら
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