ナクルから車に揺られること六時間(ちなみに5人乗りの長距離タクシーみたいのに20人くらい乗っていました。後ろのトランクに約10人と前4人、後5人。)
ついにやってきましたマサイの地。
ジャンプで有名なマサイ族ですが、彼らは本当に跳ぶんでしょうか。
Yes, they do.
彼は今回僕をホストしてくれたEmmanuel。
写真だと分かりにくいですが、これ結構跳んでます。
エマニュエル曰く、マサイの戦士は手を伸ばして届く地点までは
ジャンプで頭がつかないといけないそうな。
しかも垂直跳びみたいに一回一回跳ぶのではなくて
かえるみたいにピョンピョンずっと跳んでいるんだからすごいです。
マサイの戦士は大きくなるにつれて親がジャンプの訓練をするそう。
そして女性は高く跳べる人を夫に選ぶというのは本当らしいです。
現在は多くの人が定住しているため、一夫多妻はあまりみられないようですが、
昔は本当に高く跳べる人が多くの妻をもらったそうです。
この村には9家族が住んでて、みんな伝統衣装を来て歌やジャンプダンスを披露してくれました。
火をおこしてくれました。 |
サファリにも行きました。
下の写真、どこかに動物がいるのですがわかりますか?
エマニュエルは普通に”あっキリンいるよ。見える?”
みたいなこと言うのですが全く見つけられず、(ちなみに写真はこれでも少しズームしてます。)
結局双眼鏡を使ってやっとこさ見えました。
これなら少しは簡単かもしれません。
真ん中にキリンが二頭います。
実際大自然の中で動物を見つけるのは難しい時もあります。
これはどうでしょう?
さっきよりはずいぶん簡単ですが、辺り一面大自然の中で見つけるのはなかなか大変です。
ライオンが昼寝をしていました。
サファリは本当にライオンキングの世界でした。
サファリ中ずっとハクナマタタの曲が永久リピートしていました。
帰ってきたのでとりあえずライオンキング見ようと思います。
話は変わりますが、ホストのエマニュエルは三年前に私立の学校をたてて、今は校長先生をしています。
僕もそこで一週間程ボランティアというか先生のお手伝いをさせてもらいました。
マサイ族は歴史的に教育から阻害されていた背景があるそうです。
英国植民地時代に、戦士の民族であるマサイ族が反乱するのを恐れ
イギリスはマサイ族の住む地域の開発を進めず、教育もしなかった。
その結果1963年のケニヤ独立後も教育インフラの整備がなかなか進まず、現在でも多くの教育問題を抱えているそうです。
学校の数が足りず、公立学校では一クラス100人を超えるところもあるそう。
しかも多くの生徒が一時間、二時間でこぼこ道を歩いて登校しています。
僕もいろいろな形でサポートできたらなと思います。
こうしてケニヤでの生活は終わった訳ですが、
それにしても素敵な生活でした。
まさに日の出とともに始まり、日没とともに眠る暮らし。
それも大自然と動物たちに囲まれながら。
サファリでの日の出 |
鳥の鳴き声に目を覚まし、南半球の空に満点の星を見ながら眠りにつく。
とても美しい世界でした。
確かに、バケツ半分の水で半ば凍えながら(朝と夜はかなり冷える)のシャワーとか、
常にまとわりついてくるハエとか、
今までインドとかベトナムで経験してきた生活よりもきついというか
水道電気の全くない生活に不便に感じる点ももちろんあったけど、
これでシャワー。 |
がむしゃらになって
いつの間にか笑ってる自分がいた。
鏡なんてなかったから自分の顔を見ることもなかったけど、
車のサイドミラーに過ぎていく顔はなんだか生き生きしてたな。
まるで炎天下の中サッカーの練習を終えた子供みたいに。
とにかくこの二週間、ナクルとマサイのそれぞれのコミュニティのリーダーの下で活動できたのはとても為になりました。
そして強く思ったのは、ラファエルとエマニュエルだけじゃなくて
自分のコミュニティの発展、活性の為に尽力している人たちは他にもたくさんいるんだろうということ。
コミュニティデベロップメントの手法に関してもいろいろなケースを見てみたい。
あと最近開発コンサルやってる人と話がしてみたいと思ったりします。
誰か知り合いとかいたら紹介していただけたらうれしいです。
それではまた。
基本夕食はこれ。左のはウガリといってトウモロコシからできたケニヤでの主食。 |
川での洗濯 |
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