明けましておめでとうございます。
皆様新年いかがお過ごしでしょうか。
シアトルに来てから九ヶ月が経ちました。
であったのではないかと思います。
時が経つのが早い事を英語ではTime Flies といいますが、
本当にその通りでこちらでの日々は足跡を眺める暇もなかなかなかったように思います。
この九ヶ月の間に感じてきたものは確実に自分の中に蓄積されている実感はありますが、
ただそれをゆっくりと振り返る時間が必要なのかもしれません。
帰国までに時間をかけて、四つの胃腸をもつ牛のようにゆっくりと咀嚼していこう、
というのがまず今年最初の短期目標です。
というのがまず今年最初の短期目標です。
新年も明け、今思うところを書き留めておかなければと急に思い立ち今回のブログを書き上げました。
とても粗いですが、ご勘弁を。
1、出発
2、ソーシャルビジネスとの出会い
3、日本人起業家との出会い
4、アジア人としてのアイデンティティ
5、出会いと別れ
[1]出発
あの震災が起きた一週間後、あんなに待ち望んでいた留学に発つにあたり
この上ない歯痒さを感じたのを覚えています。
昨年11月に親族で祖母の米寿と父の還暦のお祝いがあり、
僕は参列できなかったため手紙を書いて兄に代読してもらいました。
そこに自分はこんなことを書いていました。
”僕が日本を発ったのはあの東北大地震が起きてからわずか八日後でした。東北では多くの人が家も家族も失い、食料もなく寒さにふるえ、東京でも大規模な計画停電のもと、人々は放射能の暗雲に怯える。僕がアメリカに発った日はそんな日でした。母国に帰る外国人があふれかえる成田空港で、これから日本を発つ自分。あんな状況の中、日本を離れたくありませんでした。こんなことを言っては本当にいけないとは思いますが、自分一人生き残って帰国する兵士のような、僕にとってはそれほどまでに、なんというか一種の罪悪感を抱えての出発でした”
”今、日本を離れたくない”
これまで海外には何度か足を運んできましたが、
そんなことを思ったのは初めてでした。
人々が震災に立ち向かおうとしている時に
自分一人が日本を発つことは、
理由はどうであれ心を痛めずにはにはいられませんでした。
そして同時にそこまでして留学するという”責任”を否応無しに押し付けられた出発となりました。
この出発の際に奮い立たされた言葉があります。
東北大震災の際、卒業式が中止になった立教高校の校長先生がHP上で卒業生に贈ったメッセージが素晴らしく、
卒業生ならず多くの若者が感化されました。
知っている方も多いのではないかと思いますが
一部抜粋して、もう一度ここに記させてもらおうと思います。
(中略)
悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。
時に、孤独を直視せよ。
時に、孤独を直視せよ。
海原の前に一人立て。
自分の夢が何であるか。海に向かって問え。
青春とは、孤独を直視することなのだ。
直視の自由を得ることなのだ。
大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。
自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。
流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。
いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。
男たちよ。船出の時が来たのだ。
思い出に沈殿するな。未来に向かえ。
鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。
愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32
全文はこちら
[2]ソーシャルビジネスとの出会い
そんな出発を経て、足を降ろしたシアトルの地。
まず自分の中で大きな変化だったのは
ソーシャルビジネスとの出会い
でした。
もちろん日本にもソーシャルビジネスはありますが
以前ブログにも書いた通りシアトルはソーシャルビジネスが全米の中でもかなり盛んな都市です。
ネットワーキングもかなりさかんで、日本のように学生が社会人を招待してっていうのではなくて
本気でビジネスパートナーとかアイデアシェアの為にビジネスパーソンが集まるところに
学生も飛び込んでいける(日本は学生と社会人の意識的垣根がすごい高いように思う)環境があります。
なので、多くのソーシャルビジネスと出会う事ができました。
多くのマイクロファイナンス団体を始め、
途上国でアートを買ってきてネット上で販売しアーティストとカスタマーをつなげるサービスであったり
(ArtSumo: http://www.artsumo.com/)
ホームレスを九ヶ月間のプログラムでシェフとして育成し、おしゃれなレストランを経営している方であったり
(FareStart: http://www.farestart.org/)、
インターネット上でしかもプロジェクト単位で寄付を行うことで小額で簡単な寄付を可能にし、かつそのプロジェクトの経過をたどれるwebサービスであったり
(Jolkona: http://www.jolkona.org/)
まーあげるときりがないですが素敵なビジネスにたくさん出会う事ができました。
そして一番大切なのはやはりパッションなのだと実感したのもこういった人達との出会いからでした。
[3]日本人起業家との出会い
これまでにも何度かブログに書きましたが、
こちらに来てから四ヶ月程インターンさせてもらっていていたiLEAPという団体で
七月に
Japan-US social innovation forum
というプログラムがありました。
日本で特に震災復興の為に活躍する若手起業家たちをシアトルに招待して、
日本のソーシャルアントレプレナー、ソーシャルイノベーションを
Energizeしようというものです。
詳細は以前のブログ参照。
このフォーラムは素敵な日本の起業家の方々にお会いできたということもさながら
震災後の情報は得ながらもどこか日本の状況から遠ざかっていた自分にとって
ものすごいインパクトのあった出来事でした。
彼らの震災への想いのこもったプレゼンテーションを聞いて、
自分はいつの間にか涙していました。
あの涙以来でしょうか。
自分はいつの間にか以前よりも日本の国(というか人々)に魅力を感じるようになっています。
これは留学中に感じた大きな変化の一つです。
今回の大震災を機に日本の多くの若者達が動き出しました。
地震当時、コンビニに散らばった商品を一つ一つ拾いレジに並ぶ人達。
商品を盗んでいく人は誰もいない。
大混乱した駅のホームには電車を待つきれいな列ができていたと言います。
今回の日本人の対応に日本中が、世界中が感動しました。
アメリカに来た当初、誰もが日本人の地震当時の映像を見て感動したと言ってくれました。
アメリカ、カナダ、韓国、メキシコ、ドイツ、中国、台湾、
友達がみんな口を揃えて日本はすごい、
あれは日本以外の国ではあり得なかったと言ってくれました。
地震から十ヶ月を経て今の日本が実際どうなっているのか僕にはわかりません。
早くも当時の気持ち、悲劇を忘れ、被害だけが依然として目に見える結果として残っているのかもしれません。
それでも今でもあの3.11を機に動き続けている若者は多くいます。
日本が多くの不安要素を抱えていることは確かですが、未来に向かい未来を創造しようとしている若者は多くいます。
何がなんでも日本の為にというわけではないですが、
こんなに素晴らしい日本の人々/ものを世界に伝えたいといった想いが高まってくるきっかけとなったForumでした。。
[4]アジア人としてのアイデンティティ
そしてこちらに来てからすごく強く感じているのが
アジア人としてのアイデンティティです。
University of Washingtonには多くのKorean、Taiwanese, and Chineseがいます。
言葉こそ違う東アジアの友達ですが、
欧米圏の人とは違う何か”アジア的なもの”を共有しているのだということを強く感じました。
もちろんここはアメリカで文化も人種も全く違った人達が集まっている”違って当然”の環境なので
”違う”ことに対する恐怖、均質性に求める安心感みたいなたまに日本的と表現されるようなものはまずありません。
ですが、そういった環境の中で、たとえ英語で話していてもアジア人と話している時の感覚共有的なものは、ある種の安心感すら覚えます。
この共通感覚の発見もこちらにきて初めて感じた大事な変化の一つです。
アメリカにいってなんでそんなこと?と感じるかもしれませんが、
昨今のアジア急成長の時代の中で
このようなアジア的アイデンティティを強く感じられたことは今後世界を俯瞰していく上で
自分にとって大切な感覚になるような気がしています。
とまぁ
なんとも自分勝手な文章ですが、読んで頂いてありがとうございます。
ちょっと長くなってしまったので
最後の
[5]出会いと別れ
についてはまた次のエントリーに書くことにします。
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