3.18.2011

おばあちゃんの結婚論


留学とは全然関係ないんですが、

今回の東北大地震が起きた時、

僕は名古屋でおばあちゃんとランチ。

その時ふと、おばあちゃんがおじいちゃんとの結婚について語ってくれました。


――――


おじいちゃんとは60年間ずっと一緒にいたけどね、

あぁこの人と一緒になってよかったなぁ

って本当に思ったのは

(おじいちゃんが亡くなる)二ヵ月くらい前だったかねぇ。





おばあちゃんもね、その頃ほとんど寝たきりのおじいちゃんの介護でくたびれちゃってね。


ある日突然目が見えなくなっちゃって、

具合も悪くなってどーしようもなくなっちゃったのよ。

それでソファに横になってたのね。





そしたら、寝たきりのおじいちゃんがね、


いつの間に着たんだか何だかしらないけど、


背広着てゆっくりゆっくりこっちに歩いてきたの。


それでね、


「節子、僕が病院まで連れて行ってあげるからな」


って言ったのよ。






それ聞いておばあちゃん嬉しくなっちゃってね。


あぁ、この人は最後の最後まで私の方を向いていてくれたんだって。



たーくさんけんかもしたけどね、

深いところではいつもおばあちゃんのことを考えていてくれたの。




気難しくてわがままな人だったけど、

それだけがおじいちゃんのいいところだったのよ。




でも一番大事なことだったと思うのね。







結婚というのはね、

理性的になるのが一番難しいものだけど、

理性的にならなきゃいけないの。



もちろんその時の熱い気持ちは大切だけど、

結婚っていうのはずーっと歩いていかなきゃいけないものだからね。

式をあげてね、はい、おしまいってものじゃないの。

この人と本当にずっと一緒にいられるか。

この人がずっと自分のことをむいてくれるのかを見極めるのよ。


まぁそうはいってもそれがむずかしいんだけどね。








でも一方では結婚っていうのは努力するものなの。


どんなに相性のいい夫婦でも二人が協力しなくちゃ絶対にうまくいかないのよ。


努力しないでこの人とは合わないってすぐ諦めちゃだめ。





おばあちゃんだって


あぁおじいちゃんでよかった


って本当に思えるまでに60年もかかったんだから。


――――


おじいちゃん気難しくて頑固だったのも知ってるから

おじいちゃんの声をかける姿を思うと

なんだかこみあげてくるものがあった。



紆余曲折があったに違いないけれど、

その中の思いでを全部ひっくるめて、

60年越しに自分の行動を振り返るって

なんとも思考のスケールが大きいなって感じた。



なんか長年生きているっていうことは

経験の蓄積とともに思考の包含する範疇が

広がっていくことで



それが


豊かさ


なのかな。


だとしたら


一つ一つの経験・出来事を

また別の他の経験とリンクさせていくってこと

が長期的にはすごい大事なのかなって思う。



いわゆる「次に活かす」じゃあないけど


さまざまな経験をひっくるめて


そこから自分にとって一番大事なものをつかむ


そんなことをしながら自分の生を俯瞰できたら

素敵だなぁ

って思った。



まぁそんなこんなで88歳のおばあちゃんとお別れの挨拶をしてきたわけです。

帰ってきた時も元気でいてほしい。





あっあと昨日

スペ(大学のサッカーサークル)のみんなが

追い出し会を開いてくれました。

こんな状況の中みんな集まってくれて


















こんなに素敵なアルバムをくれました~


いつのまに作ってたんだか知らないけど、

めっちゃ嬉しかった。


ありがとう。


地元でも大学でも高校でもそうだけど

こうやって送り出してくれる人がいること、

そしてまた戻ってこれる居場所があることに

本当に幸せを感じる。


そして留学している間に

何事も起こらないことを

ただただ願う。


ひとりでも多くの方が

無事に

あのありふれていた普段の生活に

戻れますように。

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