1.05.2012

新たな出会いと別れの中で学んだ事





前回のブログの続きです。


[5]出会いと別れ

最後に書き留めておきたいのは、


まさに人との関わりそのものです。


こちらに来てから

ものすごいたくさんの人に会い、時間を過ごし、友情を深め、

そしてたくさんの仲間との別れを経験しました。

自分との別れに涙してくれる存在がいることに何度心を打たれたことか。


もう一度会えるとは信じていても


サウジアラビアやイスラエル、ドイツにフランス、

イギリスにオーストラリア、チュニジアにカナダ、タイにチリ。

そして韓国、台湾、中国。


母国に帰っていった彼らとの出会いは

人との出会いの儚さを否応にも痛感させるとともに

Face to Faceで話すことのインパクト、重要性を身をもって体感させてくれました。



イスラエル人のOfirはユダヤ教万歳の人で、

いかにユダヤ教の教えが素晴らしいかを散々語ってくれました。

それがどこまで正しいかは別として今まで感覚的に歴史の中でしか捉えられていなかった

ユダヤ教、ユダヤ人あるいはパレスチナ問題というものが身をもって迫ってくるのでした。


さらにはFall Quarterに入って、ジャーマンの学生が入ってくると

その感覚はさらに深みを増します。





世界は絡まった金属のネックレスのように解こうにも解けないものです。




しかしそれは解く必要のないものなのかもしれません。

絡まったまま、

それでもなんとか相手を理解し合って、尊重し合っていけば

その絡まった玉でさえ奇麗な模様に見えるかもしれない。


各国の人が集まって一個人として団欒していると

なんだかそんな気がしてくるのです。


その為に決定的に不可欠なのが、

面と向かって直接話すという事です。






以前から心していることですが

海外では、自分が相手にとって”日本のすべてになる” からこそ

日本を背負って生きていかなければならない部分があります。




ドイツ人とも韓国人とも第二次世界大戦の話をしました。


ドイツ人

”ドイツ人は戦時中のthe Holocaustに対して

国として謝罪し、全国民が反省している。日本の人々の靖国参拝や国としての第二次世界大戦

に対する対応は理解しがたい。”


韓国人

”ドイツ人はあの戦争を自分たちの負と認め、公に謝罪しているのに

どうして日本は未だにあの過ちを認めないの? 人々が靖国神社に参拝することは韓国人から

したら信じられない。あそこには無理矢理神風特攻隊に参加させられた韓国人兵士の名前が刻

まれているんだよ。以前韓国人遺族が名前の撤廃を要求したけど受け入れられなかった。どう

して日本人戦犯者と日本軍に強兵徴兵された韓国人戦死兵が同じところにまつられるわけ?

私は日本人は大好きだけど、それだけは許せない。”

と言われました。


また慰安婦問題に関しても、日本政府が韓国人慰安婦を否定してることが信じられないと。
(正確には事実は認めているが賠償/謝罪はしていない。wikipedia参照: http://p.tl/p_9Z
個人的には事実を認めたのであれば、賠償はないにしろ謝罪を表明すべきだと思います。)







中国人とはこういう話を度々し議論してきましたが、韓国人にここまでがつんと言われたのは

初めてでした。


僕は日本人の靖国参拝が彼女達の思っているような理由からではない


ということを伝え、彼女も最後には分かってくれたようです。


一個人としてこの子と話を重ねたことは

とても有意義でした。

こうした友人をもてたことを幸せに思います。





若い世代がどうやって歴史の責任を取っていくのか。




靖国問題一つをとってみても、

検索結果にでてくる2ch記事のスレッドをみていると本当に心が痛みます。

そしていつもこう思うのです。



彼らももしこの韓国人と友情を深め、

そして彼女の言葉を聞いたら

あんなこときっと(僕に言わせれば金輪際)書けないはずであろう、と。



もちろん韓国人の教えられてきた事は多少バイアスがかかっているかもしれません。

僕らが学校の授業で習う事も間違いなくバイアスがかかっています。



そして今の僕らには本当の事実を知ることはほとんど不可能です。




だからこそ話すしかないんです。

お互いが想っていること、習ってきたこと、信じていること。

事実がどうこうじゃなくて人間的感情をぶつけ合う場が必要なんだと思います。







僕にはサウジアラビア人とユダヤ人(イスラエル)の友達がいます。

二人が仲良く笑い合っている姿を見ているのはとても幸せな光景です。


でも



なんのへんてつもないごく普通の光景です。


人と人ですから。






人と人との平和ってどこで崩されてしまうのでしょうか。






そういう意味でも海外に出て実際に各国の人と面と向かって話をする意義は

ものすごく大きいと実感しました。


留学という贅沢を恵んでもらった自分の役目は

この韓国人から聞いた話を、そしてこの感覚を

一人でも多くの人に共有することなんだと思っています。


なのでこういったブログもシェアして頂ければ幸いです。


別に留学である必要はないけれど、

少しでも多くの日本の若者に

自分の国について他国の若者と話す機会をもってもらいたいなーと思います。






なんだか留学後記みたいになってしまいましたが

実はまだあと1クオーター残っています笑


今学期はインターンシップのプログラムということで

授業は水曜の午後だけであとは全てインターンの時間となります。


僕は二つのインターンを頂きました。


一つは

HubSeattle


こちらがメインになります。

シリコンバレーに行った

Hub Bay Area に立ち寄る事はできませんでしたが

いろいろな方のお話を聞いて

Co-working Spaceというものに魅力を感じるようになりました。

興味のある方Hub Bay AreaのHPをのぞいてみて下さい。

多くのエントレプレナー、スタートアップに関わりたいということもあり

ここでインターンがとれたことはとても嬉しく思っています。

Hub Tokyoの設立の方はどうなっているのかなーと勝手に気になっています。

帰国後なんとかして関われたらなぁと思います。


二つ目は

 CCD (Community Capital Development)

という団体。

主にスモールビジネスに対して小額融資を行っています。

詳しくはこちら



インターンの内容は随時アップしていこうと思います。

長い拙い文章読んで頂きありがとうございました。






1.04.2012

出会いと変化、広がりの年 〜留学九ヶ月を経て〜



明けましておめでとうございます。


皆様新年いかがお過ごしでしょうか。






シアトルに来てから九ヶ月が経ちました。

2011年は日本にとっても自分にとっても多くの変化が起き、振り返る意義の特に大きい一年
であったのではないかと思います。



時が経つのが早い事を英語ではTime Flies といいますが、

本当にその通りでこちらでの日々は足跡を眺める暇もなかなかなかったように思います。

この九ヶ月の間に感じてきたものは確実に自分の中に蓄積されている実感はありますが、

ただそれをゆっくりと振り返る時間が必要なのかもしれません。

帰国までに時間をかけて、四つの胃腸をもつ牛のようにゆっくりと咀嚼していこう、


というのがまず今年最初の短期目標です




新年も明け、今思うところを書き留めておかなければと急に思い立ち今回のブログを書き上げました。


とても粗いですが、ご勘弁を。




1、出発
2、ソーシャルビジネスとの出会い
3、日本人起業家との出会い
4、アジア人としてのアイデンティティ
5、出会いと別れ


[1]出発




あの震災が起きた一週間後、あんなに待ち望んでいた留学に発つにあたり


この上ない歯痒さを感じたのを覚えています。


昨年11月に親族で祖母の米寿と父の還暦のお祝いがあり、


僕は参列できなかったため手紙を書いて兄に代読してもらいました。


そこに自分はこんなことを書いていました。




”僕が日本を発ったのはあの東北大地震が起きてからわずか八日後でした。東北では多くの人が家も家族も失い、食料もなく寒さにふるえ、東京でも大規模な計画停電のもと、人々は放射能の暗雲に怯える。僕がアメリカに発った日はそんな日でした。母国に帰る外国人があふれかえる成田空港で、これから日本を発つ自分。あんな状況の中、日本を離れたくありませんでした。こんなことを言っては本当にいけないとは思いますが、自分一人生き残って帰国する兵士のような、僕にとってはそれほどまでに、なんというか一種の罪悪感を抱えての出発でした




”今、日本を離れたくない”


これまで海外には何度か足を運んできましたが、

そんなことを思ったのは初めてでした。






人々が震災に立ち向かおうとしている時に


自分一人が日本を発つことは、


理由はどうであれ心を痛めずにはにはいられませんでした。


そして同時にそこまでして留学するという”責任”を否応無しに押し付けられた出発となりました。






この出発の際に奮い立たされた言葉があります。

東北大震災の際、卒業式が中止になった立教高校の校長先生がHP上で卒業生に贈ったメッセージが素晴らしく、


卒業生ならず多くの若者が感化されました。


知っている方も多いのではないかと思いますが


一部抜粋して、もう一度ここに記させてもらおうと思います。



中略

悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

時に、孤独を直視せよ。
海原の前に一人立て。
自分の夢が何であるか。海に向かって問え。

青春とは、孤独を直視することなのだ。
直視の自由を得ることなのだ。
大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。
自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。
流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。
男たちよ。船出の時が来たのだ。
思い出に沈殿するな。未来に向かえ。



鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。
愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

「真理はあなたたちを自由にする」(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32




全文はこちら






[2]ソーシャルビジネスとの出会い






 そんな出発を経て、足を降ろしたシアトルの地。


まず自分の中で大きな変化だったのは




ソーシャルビジネスとの出会い




でした。


もちろん日本にもソーシャルビジネスはありますが


以前ブログにも書いた通りシアトルはソーシャルビジネスが全米の中でもかなり盛んな都市です。


ネットワーキングもかなりさかんで、日本のように学生が社会人を招待してっていうのではなくて


本気でビジネスパートナーとかアイデアシェアの為にビジネスパーソンが集まるところに


学生も飛び込んでいける(日本は学生と社会人の意識的垣根がすごい高いように思う)環境があります。


なので、多くのソーシャルビジネスと出会う事ができました。


多くのマイクロファイナンス団体を始め、


途上国でアートを買ってきてネット上で販売しアーティストとカスタマーをつなげるサービスであったり
(ArtSumo: http://www.artsumo.com/)


ホームレスを九ヶ月間のプログラムでシェフとして育成し、おしゃれなレストランを経営している方であったり
(FareStart: http://www.farestart.org/)、


インターネット上でしかもプロジェクト単位で寄付を行うことで小額で簡単な寄付を可能にし、かつそのプロジェクトの経過をたどれるwebサービスであったり
(Jolkona: http://www.jolkona.org/


まーあげるときりがないですが素敵なビジネスにたくさん出会う事ができました。


そして一番大切なのはやはりパッションなのだと実感したのもこういった人達との出会いからでした。










[3]日本人起業家との出会い




これまでにも何度かブログに書きましたが、


こちらに来てから四ヶ月程インターンさせてもらっていていたiLEAPという団体で


七月に


Japan-US social innovation forum


というプログラムがありました。


日本で特に震災復興の為に活躍する若手起業家たちをシアトルに招待して、


日本のソーシャルアントレプレナー、ソーシャルイノベーションを


Energizeしようというものです。


詳細は以前のブログ参照。




このフォーラムは素敵な日本の起業家の方々にお会いできたということもさながら


震災後の情報は得ながらもどこか日本の状況から遠ざかっていた自分にとって


ものすごいインパクトのあった出来事でした。


彼らの震災への想いのこもったプレゼンテーションを聞いて、


自分はいつの間にか涙していました。




あの涙以来でしょうか。


自分はいつの間にか以前よりも日本の国(というか人々)に魅力を感じるようになっています。


これは留学中に感じた大きな変化の一つです。








今回の大震災を機に日本の多くの若者達が動き出しました。

地震当時、コンビニに散らばった商品を一つ一つ拾いレジに並ぶ人達。 

商品を盗んでいく人は誰もいない。

大混乱した駅のホームには電車を待つきれいな列ができていたと言います。

今回の日本人の対応に日本中が、世界中が感動しました。

アメリカに来た当初、誰もが日本人の地震当時の映像を見て感動したと言ってくれました。

アメリカ、カナダ、韓国、メキシコ、ドイツ、中国、台湾、

友達がみんな口を揃えて日本はすごい、

あれは日本以外の国ではあり得なかったと言ってくれました。


地震から十ヶ月を経て今の日本が実際どうなっているのか僕にはわかりません。

早くも当時の気持ち、悲劇を忘れ、被害だけが依然として目に見える結果として残っているのかもしれません。

それでも今でもあの3.11を機に動き続けている若者は多くいます。

日本が多くの不安要素を抱えていることは確かですが、未来に向かい未来を創造しようとしている若者は多くいます









何がなんでも日本の為にというわけではないですが、


こんなに素晴らしい日本の人々/ものを世界に伝えたいといった想いが高まってくるきっかけとなったForumでした。。








[4]アジア人としてのアイデンティティ






そしてこちらに来てからすごく強く感じているのが


アジア人としてのアイデンティティです。


University of Washingtonには多くのKorean、Taiwanese, and Chineseがいます。


言葉こそ違う東アジアの友達ですが、


欧米圏の人とは違う何か”アジア的なもの”を共有しているのだということを強く感じました。


もちろんここはアメリカで文化も人種も全く違った人達が集まっている”違って当然”の環境なので


”違う”ことに対する恐怖、均質性に求める安心感みたいなたまに日本的と表現されるようなものはまずありません。


ですが、そういった環境の中で、たとえ英語で話していてもアジア人と話している時の感覚共有的なものは、ある種の安心感すら覚えます。


この共通感覚の発見もこちらにきて初めて感じた大事な変化の一つです。


アメリカにいってなんでそんなこと?と感じるかもしれませんが、


昨今のアジア急成長の時代の中で


このようなアジア的アイデンティティを強く感じられたことは今後世界を俯瞰していく上で


自分にとって大切な感覚になるような気がしています。




















とまぁ


なんとも自分勝手な文章ですが、読んで頂いてありがとうございます。






ちょっと長くなってしまったので


最後の


[5]出会いと別れ


についてはまた次のエントリーに書くことにします。

12.07.2011

国際開発 -九ヶ月前の自分が思っていたこと-




先日前のパソコンを整理していたら、

HPAIRに応募した時のアプリケーションを見つけてついつい読み返してしまいました。



国際開発がテーマです。



応募したのが三月終わり頃なのでかれこれもう9ヶ月以上も前に書いたことになります。


以前の自分はこんなことを考えていたのかぁと懐かしくなると同時に、

この九ヶ月間の間にずいぶんと新たな視野を得る事ができたのかなと思ったりもします。



様々なソーシャルビジネスとの出会いやiLEAPでのインターン、

ケニヤでのNGOコンサルティング的な経験その他シアトルでの生活を通して

これを書いていた当時には思い描かなかった世界が見えるようになった、



このことを改めて実感できたことはよかったですね。

先日もGates Foundationにも勤めておられたこともある

開発コンサルタントの方とお話する機会を得て、

大変有意義な時間を過ごすことができました。


”いくら技術的な支援が整ったって

結局重要になってくるのは人間味。

その点で国際協力において教育の担う役割は大きい””

とおっしゃっていました。






さてまぁこの文章は選考通ったにしろ今読み返すと稚拙な箇所も多々ありますが、

そのへんはご了承ください。



設問は



   Select your first choice panel topic from the drop-down list.
(僕はInternational Development/国際開発のパネルを選びました。 

 What aspects of this panel topic specifically interest you and why? Please elaborate on any relevant academic, work, and/or personal experiences that testify to your ability to contribute substantively to the panel.(Limit: 5000 characters)


です。


懐かしい。



What I am most interested in is how each sector of international development can cooperate and realize efficient development. Through the experiences of several international volunteer work camps, I felt a necessity of cooperation of three sectors: NGOs, companies, and govt. When we think about the way of international development, structurally there are two important views: horizontal connection and vertical connection.
There are so many factors for development such as education, employment, infrastructure, and medical care, and these are tightly connected with each other. This is the horizontal connection. HIV problem in developing countries, for example, needs medical care and technology enough to cover all of the patients, but also needs better education on how HIV spoils children, how they can prevent HIV, and other recognitions about HIV. Here we need to improve both factors at the same time. Improvement of one segment has little impact on the matter. Bottom up of all of the factors is required in the field of development. At this point, I think that many NGOs contact with other fields of NGOs or one expands their field over some factors. An organization which I took part in in India also provided various kind of support with children. While we taught them English, math, and about HIV during the work camp, we promoted the infrastructure of the small institution where children study.

Then, how about vertical connection? In my opinion, this is what is now needed in the field of international development. Here, vertical connection means corporations among three important sectors of international development: NGOs, companies, and govt., and each sector has each capability.

NGOs stand on the closest place to local people. Most of the NGOs are always besides local people. They try to find the solution and change the situation for local people and sometimes with them. Therefore, they are of advantage about connection with local communities compared to other sectors. When we think about international development, we have to know that there are variety of cases in each country, each area, and each people. That is why each NGOs acts for specific area. This fact shows the importance of NGOs because other two sectors cannot specify narrow area.

Companies, the second sector, are basically involved in international development in the demand-supply structure. Some of them contribute somewhat to international development as CSR, but I think that it is non-essential and omissible here. Global companies were not so much interested in the market of developing counties in the past. Since the end of 90’s, however, noticing the future possibility of the market, they gradually forged ahead to developing countries and started BOP business. BOP business is a business which targets to low-income population (Bottom of the Pyramid). Companies can contribute to an amelioration of their standard of living by providing people in developing countries with products which suit their lives. For example, P&G(U.S) developed, as a part of Childrens Safe Drinking WaterCSDWprogram, a purification powder which clean water, PUR(get rid of 99% of virus and bacteria, by P&G ), and enable people to get safe water easily in more than 40 countries.

Government, the third sector, can contribute to development in terms of systems, not only infrastructures, finance, and other bases. Some problems developing countries hold are caused of insufficient systems. It is said that in Cambodia highly capable teachers go overseas looking for a better-income job because salaries of public official are low.  Therefore the improvement of their salaries prevents the loss of competent teacher, and this is the base of well-developed education system. By this means, by developing the systems, governments make the better bases of each factor of development. This should be done with the cooperation of other countries government of course.

These three sectors have each advantage and disadvantage. For instance, NGOs are familiar with the demand of local people, but they do not have business experience or skills. Therefore, what I am saying is if the knowledge about demands of local people and business know-how are combined, better development can be achieved. This is vertical connection I said above. PUR by P&G is also in this case. One of the reasons of the success of PUR is low cost of distribution and promotion. By cooperating with local NGOs and international institute, P&G achieved this and succeed in spreading PUR even to the lowest-income people. I think this case is great success, however this kind of cooperation is still few, in other words, vertical connection is not enough. I would like to participate substantively in the panel and discuss international development from this point of view.

ハロウィーン & ThanksGiving



そういえば全然ブログを書かかないまま


もういつの間にかFall Quarterが終わってしまいました。


今クオーターにはいろいろとアメリカンチックなイベントがあったので


写真だけでものせておきます。


まずはハロウィーン。


 Capitol hillというエリアはハロウィーンで有名で

これぞアメリカっていう感じのハロウィーンでした。










どの家も本当にデコレーションがこっててなんだかテーマパークにいるみたいでした。









で、子供達はこういった家を


”Trick or Treat” といってまわるわけです。




中にはあまりの怖さに泣き出してしまう子供達もいましたw




で、みんなとりあえずいろんな衣装きてます。







マリオ系の衣装の人は多かったですね。







ドラキュラのFelix。



友達のホストマザーと。





まぁハロウィーンはこんな感じで、

あと先月末にはThanksGiving&BlackFridayがありました。


ThanksGIvingはエリカのお家に招いてもらって

アメリカンサンクスギビングディナーを頂きました。



ターキー丸ごと調理して、グレービーソースやクランベリーソースと一緒に食べる。

あとはマッシュポテトとかスタッフィーとよばれるターキーの腸にポテトとかつめたもの(?)を食べます。

これがすんごい美味しかった。


というわけでまあなかなかアメリカンな伝統イベントが続いたクオーターでした。



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